使わない言葉は忘れる

「所謂」という単語がSNSの投稿者のコメントの中にありました。
見ず知らずの多分中高年の男性でした。

一瞬、読み方を忘れて固まり、すぐに検索・・・
そうだった「いわゆる」だった。
使わないな~ 自分のエッセイなどの中では使ったことがない。

使わないとしたら「所謂」の代わりになんと言うかな?
きっと・・・
「言い換えれば」とか「言ってみれば」とか
「それはおそらく」とか「一般的には」とか
頭に上がってくる言葉はそんな風で、
「所謂」は使ったことが無い、と思う。

人の頭には、自分がいつも使う言葉ばかりが残る。
歳を重ねるほどに顕著になり、
使わない言葉はどんどん霞んでいき、影をひそめていく。
やがて、そんな言葉があったことすら、頭に存在しなくなる。

だから、話し言葉にしても、
高齢になるほど文章が単調になり、きっと面白くなくなる。
自分がまさにその通り。
だから、「所謂」なんて、言葉すら出てこないわけで・・・

って、要するに漢字が読めなくて、その理由を他のことに置き換えただけで、
ごまかしました(^^ゞ


2月14日に届きました。
そもそも、この日が何だったかも忘れていたので、
届いた荷物で、ああ!と気が付きました。
ますまずレベルが上がって、細かい手作業に感動。
ありがとう。
何を入れようかと、いつもそれが楽しみです。